ベトナム生活

ベトナム家族の絆

お義姉さんの突然の訪問
実家での集まりや旧正月でしか会う事のないお義姉さんが我が家に来るのは珍しい。
「ひさしぶり!!Nさん(お義姉さん)とHさん(お義姉さん)は、まだ来てない?」

え・・・
我が家で集合ですか?
旦那さんの兄弟は、9人兄弟(正確には11人だそうですが小さい時になくなっているそうです。)
末っ子である旦那さんの家に集合は、めったにないことなのでただ事ではありません。
しかもアポなし突撃訪問

一旦
お義姉さんを下のお店部分に残し、
旦那さんに確認しに
すると知らないと・・・

久しぶりにあったのでお義姉さんと世間話をしつつ
「日本の洗顔石鹸ある?」

私が昔から気に入って使っている洗顔石鹸があるのですが
一度プレゼントしてからえらく気に入ってしまったようで
何度か購入していました。
その石鹸かなりもちがよく1年に1個使い切るのも大変なのですが
ちなみにうちはJAPANショップではないのでもちろん在庫はありません(笑)
こんど実家のお母さんに頼んでみますと伝えとりあえず逃げました。
なんせ2年も日本には一時帰国できていませんので日本の物のストックはほとんどありません。

もうひとりのお義姉さんが登場
「肌が黒くなった。なんで家にいるのにそんなに黒いんだ」と言われ
体重を測りたいという話になって
何故か私まで体重測定
3人とも痩せていて
我が家の体重計が壊れていると大騒ぎしていました。
今回のコロナの規制は、誰にとっても厳しく望まずしてコロナダイエットになってしまいました。
ただ痩せるだけでは意味がないので健康的に痩せたいものですが・・・

3人で少しばかり盛り上がっていましたが
もう1人のお義姉さんが来る様子はありませんでした。
待ち合わせをしていたようですがベトナム人のこの世代が時間通りに集合できるわけがありません。
2人は、ひとまず旦那さんに用事があるようで上に上がりました。

お義姉さんと姪っ子ちゃん達集合写真(女性陣みんな集合できていません。)

もう1人のお義姉さんが来るという情報を
2人のお義姉さんから入手したので鍵を開ける為に
1階のお店で仕事をしながら待っていました。
というか、待ち合わせをして我が家に来るならば
事前にお家に行くよって私たちに連絡してくれてもよいはずではありませんか。

ベトナムでは、突撃訪問は当たり前
この時私は、部屋着(ワンピース)ですが限りなくパジャマに近い
髪もボサボサ

事前に来る事が分かったら着替えていたし
何ならお部屋も掃除して
買い出しにも自由には行けないけど
お茶やお菓子など
準備をしておきたかったのに・・・
そんな事を何回伝えたって彼女達には伝わるわけがありません。

お義姉さん達は、お菓子まで持参してきました。
もう1人のお義姉さんが集合してなんやら相談事
遅れて来たお義姉さんはよくご飯を届けてくれるのですが
我が家で食べられるようにザボンとマンゴーを持ってきてくれました。
まさかこれを買っていて集合に遅れたなら申し訳ないな・・・

今回の突撃訪問の理由は、
昨年急死したお義兄さんの1周忌が今週なのでその打ち合わせという事でした。
あれから1年が経ったなんて信じられません。

お義兄さんは、突然夜中に腹痛で病院に運ばれ目覚めることなく3週間後に旅立ってしまいました。
その時は、通常に街は動いていましたがコロナの影響で病院への入室はできず
お義兄さんの状況を知る事さえもなかなかできませんでした。

とりあえず兄弟達で毎日朝晩関係なくみんなで集まり
お義兄さんの無事を祈り、状況を知れるように病院関係者とコンタクトを取り続けました。

その時高血圧で体調が思わしくないお義母さんを心配して家族は、この状況を隠していました。
亡くなった後もしばらくは秘密にしていたようでした。
旦那さんのすぐ上のお義兄さんなのでとても仲が良く

お義兄さんが危篤状態の時は、睡眠時間の短い状況で旦那さんに話しかける事も大変でした。

お義兄さんは、家族の中で一番気さくな人で
外国人の私にも出会った最初から英語で喋りかけてくれて
優しくしてくれました。

まだベトナム語もよく分からなかった時にも私にも気持ちが伝わるように
旦那さんに私を大事にしろよっと何度も念押ししてくれたり・・・

今の新しいお店の建築の現場監督もしてくれました。
お店が忙しいのに
口うるさい外国人妻を呼び出して
(旧店舗は、歩いて20メートルなので)
コンセントはどこに付ける?とか
タイルをどれにする?とか
細かく相談してくれて
聞かないでやると私がうるさいので・・・

私があーでもない、こーでもないと文句を言っても
嫌な顔せずリクエストに応えてくれました。
お家(お店)が出来上がっても問題だらけだったので
毎回お義兄さんを呼びつけては「どうしてこうなっちゃうの?」ってあれこれ不満をぶつけていました。

病院に運ばれるちょうど1週間前もお家の件で
お呼び出しして
我が家の点検をしていたお義兄さん
お店が出来上がってからいっこうに治らない水トラブルがあって
私は不満をずっと言っていました。

また来週来るねといいながら
台所で揚げたてのコロッケやドーナツをつまみ食いして帰ったのが最後のお義兄さんの姿でした。

まさかその時は最後だなんて思わないのでなんで最後に思いっきり不満ごとを言ってしまったんだろうと後悔しても遅すぎます。
お義兄さんは、家族ではあるけれど
ベトナムの場合は家族よりまた強い絆があるように感じます。

私もぶつけたい気持ちやどうしてよいかわからない気持ちで誰にも相談できず悩んでいました。
もちろん旦那さんが家族との打ち合わせでほとんど家にいなかったので
子供達の事や仕事もしなくてはいけなかったので悩んでばかりもいられませんでした。

日本の母やダナンに住んでいた看護婦の友達などに相談をしてだいぶ私の心も落ち着きました。

私は、ずっと家にいましたが
お義兄さんのお見送り(ベトナム中部は土葬が一般的です。)の日
旦那さんから最後にお別れしにいかないといけないよっという事で
お義兄さんのお家に行きました。

お家の前では、お経が絶えず流れ
居間にはとても立派な木造でできた大きな棺桶が置いてありました。
もちろん棺桶を開けるわけにもいかず、お義兄さんの最後の顔を見る事ができませんでした。

仏壇に飾られるお義兄さんの似顔絵は微笑んでいて
旦那さんから「絶対泣くなよ!!」と釘をさされたのに私は気持ちを抑えることができませんでした。
でも、奥にはお義兄さんの奥さんがいて
一生懸命悲しみを堪え訪問している親族達の対応をしていて
後ろには、お義兄さんの子供達もいて
逃げ場がなく、とめどなく流れてくる涙をマスクで抑え顔を上に上げる事ができませんでした。

子供達は、中学2年生と小学2年生でまだまだ小さく
子煩悩なお義兄さんだったので
もっともっとお父さんと一緒にいたかっただろうな
お義兄さんも心残りだっただろうなと思うと気持ちをどこにも持っていく事ができませんでした。

特に自分と重ね合わさり
死を理解している年齢の悲しみは手に取るように分かり苦しくなりました。
そしてまだ死がどういうものか完全に理解していないお義兄さんの下の娘は
キョトンとしてそれもたまらなく胸が締めつけられました。

ベトナムのお葬式の儀式は、たくさんあり家族や親戚が寝泊まりしながら手伝ったとしても大変です。
落ち着いてからお義母さんにも伝えれたそうです。

私は、お義母さんにしばらく会う勇気がなかったのですが
しばらく情緒不安定で子供達の家を転々として家に帰ろうとしませんでした。

思い出の詰まった家に帰る事が怖いと言っていました。

お義兄さんの旅立ちから3ヶ月ようやくお義母さんも少しずつ元気を取り戻しました。
というかお義母さんは、普段はとても可愛い人なのですが
とても手がかかる人なので
子供達の方が皆んな根を上げてしまったというのが本当のところです。
我が家にももちろん何回かお泊りにきたのですが
とてもお世話は大変で精神的にくじけてしまいました。

家族皆んなは、お義母さんは何にもできないとあれこれしてあげていますが
お義母さんは、11人子供を産んだだけあって本当はとってもたくましいのです。
皆んなにあれこれやってもらいたいからわがままを言ってるのです。
もちろん実の子が親より先に亡くなったので悲しみは計り知れません。
でも、やはり限度はあります。
家族それぞれ仕事があり、お義母さんの側に絶えずいるわけにはいかないのです。

そのわがままも最大級で
嫁としては、困るところではありますが
程よい距離感で一緒にいるしかありません。
できるだけ寄り添いますが、大変な時は聞こえなかったふりをしてその場から逃げます。
例えるならまるで大きい赤ちゃんのようです。

今でも、この大家族の輪の中には入れないなと思う事もありますが
実は既にこの輪の中に入っていて、逃げられないのだなと強く感じています。

以前も少し書いたかもしれませんが
旦那さんと結婚したというよりもこの家族の仲間に入ったというのが正解かもしれません。
ベトナムでは、程よい付き合いというのはなかなか難しいのです。
でも、やはり外国人妻なので
逃げられるところは逃げていかないと息が詰まってしまうと思います。
これからもうまく家族の絆を築いていきたいと思います。

いよいよベトナムもWithコロナに向けて動き出し、ダナンも少しずつ規制が緩和しました。
またその話は次回のブログで










コメント

タイトルとURLをコピーしました