国際結婚

母の力は偉大なり!!(国際結婚への道のり)

2021年7月18日よりオンラインショップ公開スタートしてから
たくさんの友人やお客様からお問い合わせを頂き始動することができました。
みなさんからの温かいコメントや励ましが原動力になり実現できたと思っています。

まだまだ商品数も少なく
未完成部分も多いのですが
少しずつ改善していきたいと思っています。

引き続きお気軽にお問い合わせください。
また、次の便のリクエストもお待ちしております。

今回は大きいダンボール4箱分を日本便で送りました。

現在74歳の母
まだまだバリバリに週5回勤務をこなしています。

60歳くらいから
後2、3年で仕事はやめるわっと言い続けて早14年
まだ辞める気配はありません。

仕事の休みは週2回で
リハビリやマニュキュア、マッサージなどにも通い
テニスなどのスポーツもしていたり
韓国ドラマにはまっているので毎日忙しそうにしています。

今回の協力は、そんな忙しい母なしでは実現できなかったのですが
娘の力ではどうにもならず孫の力が必要だったことは言うまでもありません。
そしてなかなか実現が難しかったはずなのに
一番今回たくさん買い物してくれたのは母だったのにはやはり驚きました。

お店を営業して7年
そろそろ8年目を迎えますが母はいつもベトナムに訪れると
スタッフ全員が驚くほど買い物をします。
しかも私が一時帰国に日本から戻ってくる時に一緒に付いてくるので
私がお店に出勤している間は、
缶詰になってホテルで孫達の面倒をみなくてはならず
ほとんど買い物の時間はありません。
30分程の時間で店内を見回り、お客様対応までしながら(接客業は、商業柄小慣れています。)
買い物をします。
(バイヤー並みの買い付けです。)
主人には、
「お母さん、無理して買い物しなくていいですよ。」
とまで言われています。

今でも私は、力になれないよっと言いながら
一番の協力者で理解者になってくれています。

私と主人が遠距離恋愛をスタートし4年
ベトナムで生活したいという気持ちが固まり
日本での退職の目処を決めて

主人が日本で母と初対面した時
母は、主人に会おうとはしてくれませんでした。
主人もなかなか仕事が忙しく日本に何度も来ることができなかったのでアポなしで会いに行った日
玄関越しではありましたが一瞬会うことができました。
その時の光景は、今でも忘れられず思い出す度に涙がでます。

母「私の娘は、一人なの!!世の中には、たくさん女性がいるでしょ。なんでこの子じゃないとだめなの?私の娘を盗らないで!!」

私が14歳の時、会社の事故で突然他界した父にかわり
母は、一生懸命働き5歳違いの兄と私を大学まで卒業させてくれました。
子供にはとっても優しかった父ですが
母は若い頃から苦労させられていて
一人で育てるにも充分な蓄えがなく
とても苦労したと思います。

母が一生懸命働いてくれたお陰で生活が苦しかったと思うような記憶はありませんでした。

兄と私が大学を卒業し、就職して
母も自分の為に生活を楽しめるようになり
休日は母娘でお買い物したり
美味しいものを食べに行くのが楽しみの一つにもなっていました。

そんな矢先に私がベトナム人の彼(旦那さん)を紹介したので
ショックは相当なものだったと思います。

結局旦那さんは、母の気迫に

主人「娘さんじゃないとだめなんです。幸せにしますから許してください。」

と言うのが精一杯でベトナムに戻りました。


母は、私は反対だからねっとそれだけ言って
もうその話には触れることはしばらくありませんでした。
半年後、母から
「Yukiが決めたなら行くんでしょ!!昔から止めたっていくんだから!!ダメだったらすぐに戻ってきなさい!」

母にしてみればかなりの覚悟だったと思います。
だいぶ時間が経ってから父のお墓参りに行った日に
私が何気なく言った言葉が母の心に引っかかりずっと考えていたということが分かり
申し訳なくなりました。


私「時間が経てば(旦那さん)を忘れられることができて、新しい誰かと出会うかもしれない。
お母さんのそばにずっといてあげられることもできるかもしれない。」

「でも、もしかしたら(旦那さん)忘れられず一人でずっと過ごして
お母さんもいなくなったら私は、この決断を将来的に後悔するかもしれない。」
その言葉が母はずっと気がかりだったみたいです。

結婚した当時は、母の気持ちを理解することができませんでしたが
今自分が母親になり母が子育てをしていた年齢に寄り添っていると
母の気持ちが痛いほど分かり
娘や息子にもし同じように言われたら
胸が張り裂けるような気持ちだろうと自分の言った言葉を今更ながら後悔しつづけていたりもします。
親の反対を押し切ってまで結婚しょうとは思っていなかったので実は主人との結婚を半分諦めようと思っていました。母が背中を押してくれなければ今のこの人生も始まっていなかったかもしれません。

今は、コロナのせいもあり母に会うことがなかなか叶いませんが
子育てをしながら母はこういう時どんな気持ちだったんだろうとか
自分の子供時代と娘を重ねたり
自分と母を重ねたりして楽しんで生活しています。

母の了承を得てベトナムで生活して約1年半後
ベトナムで結婚式をあげるために母は、ベトナムに初めて来ました。



海外旅行は、韓国に続いて2回目で性格的には、東南アジアはあまり好きじゃなかったと思います。
潔癖なところもあったのでかなり気を遣ったのを覚えています。
(ベトナム結婚式については、こちらもチャンスがあればブログでご紹介します。)
一緒に結婚式に参加してくれた日本のお友達にもだいぶ協力をして頂き無事に帰国したのですが


友人達から「お母さんずっと結婚は反対なんです」って皆んなにいってたけど大丈夫?っと

母に確認したところ
「Yukiが決めたけど、結婚は反対だよ。いやだったらすぐに戻っておいで!!我慢しなくて良いんだからね。」
万遍な笑みで答えてくれました。


母は、母なりに私の覚悟を汲み取って
最大限の優しさを返してくれました。

今は二人の子供にも恵まれ17年
母には、今でも結婚は反対だけど
孫達が最高だから今は感謝してるわ。
ベトナムも大好きになったし!!

そして
「旦那さんは好きじゃないけど!!」といつも付け加えてくれます。
私が旦那さんの不満を言うと
「私だったらあんな旦那絶対嫌だわ。Yukiが好きならしょうがないけど・・・」

母の真意は分かりませんが
いつもユーモアたっぷり笑わせてくれて
励ましてくれます。
基本は、冷たいけれど愛がある。
そんな母です。

そんな母を越えることは絶対できませんが少しでも近づけるように
楽しんでいきたいなと思っています。

来週8月16日からさらにダナンは、厳しいロックダウンの政策が実施されることになりました。
今は、みんなパニックになり買い占めなどが始まり肉、魚、野菜、卵などが値上がりして
物を手に入れることも大変な状況になっています。

幸い我が家は、少しずつ備蓄したものがあるので慌てず
足りないものを外出許可日に買い足し乗り切るつもりでいましたが
さすがに最後の外出許可日の今日は、
買い足しを予定したものまで欠品していたり、周りの様子を見て驚きを隠せませんでした。

今回は、緊急時以外は外出不可で
買い出しや仕事などもできない1週間となる予定なので
長引かずに早く日常生活に戻れる一歩になってくれたらと思っています。





コメント

  1. ミッチー より:

    涙出るわ(´;ω;`)ウッ…
    お母さん、ベトナムを好きになってくれてよかった。

    • hoalyowner より:

      コメントありがとう。
      本当ベトナムを好きになってくれてよかったよ。今は私よりもダナン情報詳しくて驚かされてます。

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